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"劇画"の命名者 辰巳ヨシヒロさんが死去


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 「劇画」の命名者として知られる漫画家、辰巳ヨシヒロ氏(たつみ・よしひろ、本名・嘉裕)氏が7日、死去した。79歳だった。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。

 昭和10年、大阪生まれ。中学時代から漫画家を目指し、26年「愉快な漂流記」でデビュー。従来の漫画の概念を超越した新たな手法を模索し、コマ数を多く使ったよりリアルな作風を確立。自ら「劇画」と名付ける。主に社会の底辺に生きる人々を描いた短編で特に海外で高い評価を受け、2005年の仏アングレーム国際漫画祭特別賞など多くの賞を受賞。2011年にシンガポールで、辰巳漫画をモチーフにした映画「TATSUMI マンガに革命を起こした男」が制作された。代表作に自伝的長編漫画「劇画漂流」など。

こちらの漫画家さんは世代的に?存じないのですが「劇画」というワードは知ってました。これはもともと(?)あるワードと思っていたのですが、今回亡くなられた辰巳ヨシヒロさんが考案された単語だったとは・・初めて知りました。

 

「劇画」というワードをwikipediaで見てみると以下のようにかかれてました。

現在は漫画の一分野であるものの、そもそも劇画は子供向けの作品と混同されないために作られた漫画のジャンルである。雑誌の作品として発表される「漫画」に対して、劇画は貸本屋で貸し出される作品を指していた。貸本時代の「漫画」は子供向けでストーリーよりも笑いを重視した他愛のないものであり、読者対象を明確に(子供には刺激が強すぎた為)する必要から、ストーリー「劇」を画にしたものを劇画と呼ぶようになる。よって本来画風自体は劇画の条件では無い(後述)。
「劇画」という名称は辰巳ヨシヒロの考案によるものであり、1957年末に貸本漫画雑誌『街』に辰巳が描いた作品「幽霊タクシー」にて、その作品表紙に「劇画」という表記が初めて使用された。なお、この頃、同じように既成の漫画とは異なる表現を追求していた松本正彦は、自身の漫画を「駒画」と呼んでいた。なお、さいとう・たかをによれば、他には「説画」「画劇」などの候補があったという。 1959年には、日の丸文庫出身の若手作家たちが「劇画工房」を結成(メンバーは辰巳、石川フミヤス、K・元美津、桜井昌一、山森ススム、佐藤まさあきさいとう・たかを松本正彦)。彼等の活躍により、「劇画」という言葉は完全に定着した。

劇画 - Wikipedia

 

当たり前のように使っている言葉で由来を知らないものが多いな、と実感したのでした。